金曜の午前十時、まちあい編集室の会議机に、二枚の紙が並んでいた。
一枚は舟木へ渡す試験説明書。もう一枚はAI会社へ返す評価条件。窓の外では、昨夜の雨が庇から一定の間隔で落ちていた。
会議机の端には、部品メーカーで使った確認表が重ねてある。書き込みのない原本、田名部の取材メモ、会社側が答えた版。紙の厚みは増えたのに、顧客へ見せられる情報は少なくなっていた。
木崎は説明書の一行を指で押さえた。
**原稿を止めた理由は、確認に必要な範囲で顧客へ伝える。**
「必要な範囲って、誰が決めるんですか」
小日向が聞いた。
田名部は、部品メーカーで聞いた三人の言葉を思い返した。夜勤を断りにくい空気。教える人が毎日いるわけではないこと。早番に間に合わないバス。どれも原稿を正すために必要だったが、誰の発言かまで舟木へ返せば、現場の三人を探す材料になる。
「本人の言葉は返さない」と田名部は言った。「条件として確認が必要になった理由だけ返す」
帆足が赤ペンで二本の線を引いた。
顧客へ説明すること。勤務条件に差があること、決定者が未確認であること、公開までに必要な確認。
説明しないこと。発言者、推測につながる勤務歴、誰が会社の説明を疑ったか。
「説明しない理由も書きましょう」と帆足が言った。「黙っていると、確認不足に見えるから」
木崎は二本の線の間へ、細い矢印を書いた。情報を隠すことと、確認していないことは、完成稿だけを見れば同じ空白になる。その違いを説明できなければ、編集室が勝手に都合の悪い話を落としたとも読まれる。
「個人を守るため、だけでは弱い」と木崎は言った。「その情報がなくても条件を決められることまで示そう」
田名部は三人の発言を、発言者のない確認事項へ置き換えた。交替制へ入る判断時期。教育担当が不在の日の扱い。早番に間に合う交通手段。誰が言ったかを消しても、会社が答えるべき問いは残った。
小日向は評価条件へ一項目を加えた。
**公開判断に不要な個人の情報を、説明から外せたか。**
午後、舟木とのオンライン会議で、木崎は二本の線を画面に映した。
舟木はしばらく読んでから言った。
『誰が話したかを、私にも教えないということですか』
「採用条件を決めるのに必要なら、部署として確認します。ただ、発言者を探さないと決められない条件なら、原稿にはしません」
舟木の背後で、工場の始業ベルが短く鳴った。
『わかりました。総務と現場責任者を同じ席に呼びます』
舟木の声には、納得だけでなく諦めも混じっていた。発言者を知れば、短い会議で済むかもしれない。だが、それでは次の採用でも、条件を決めずに話した人を探すことになる。
通話が終わると、榎並から試験用画面の連絡が届いた。最初の入力欄には、こう表示されていた。
**不足を発見した人物または部署を選択してください。**
小日向は入力せず、画面を閉じた。
投影が消えると、白かった壁に雨雲の薄い影が戻った。会議机には、人物名を消しても残った三つの問いがある。
不足に持ち主を決める前に、その質問自体を止める必要があった。

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