連載小説『消える会社、残る原稿』 第3話
本作品はフィクションです。登場する人物、団体、店舗、サービス、出来事は架空であり、実在のものとは関係ありません。
午後の事務所は、画面を見やすくするため窓側のブラインドが半分閉じられていた。キーボードの音と、複合機が紙を送る音だけが途切れず続いている。
小日向栞は、文章の嘘より、ファイル名の嘘を先に疑う。
文章は人が迷えば変わる。ファイル名は、迷う前に何をするつもりだったかを残す。
駅前店から届いた共有フォルダには、三つの文書と、五枚の写真と、一つの表計算ファイルが入っていた。
文書の名前は、スタッフインタビュー一、二、三。
写真には笑顔の従業員は写っていない。空のレジ、惣菜売場、入口。人の顔を避けた素材としては正しいが、「スタッフの声」の取材素材としては不自然だった。
表計算ファイルには求人条件が並んでいた。
小日向は更新履歴を見た。
勤務終了時刻が三度変わっている。二十一時、二十時、そして空欄。備考には「再開後は別途」とある。
「これ、いま募集する仕事の条件じゃないですね」
帆足が椅子ごと近づいた。
「いま募集する仕事と、再開後に残る仕事が一枚に入っている」
「分ければ済みますか」
「分ければ、違いが見える」
「現在の条件と再開後の条件が分かるまで、募集要項は通せません」
帆足は画面を指した。
「見えて困る人がいるから、一枚なんじゃない」
その言い方には、誰かを裁く強さではなく、昔の自分へ言い聞かせる鈍さがあった。
小日向は三つのインタビュー文書を開いた。
段落の長さがほぼ同じだった。語尾も、句読点の間隔も、話し手が言い直した跡の消え方も。
誰かが丁寧に編集した可能性はある。
誰かが、最初から三人分を書いた可能性もある。
三つの文書は同じ秒に作成され、ファイル情報の作成者欄は人名ではなく「自動生成」になっていた。さらに、一つ目の文書には試験用テンプレートと同じ形式の識別子が残っている。コピーや一括出力でも同じ状態は作れるため、これだけで生成元は決められない。
小日向はそれを知っていた。
数週間前、提携候補のAI会社が募集していた試験利用に、個人で参加した。短い募集要項から採用ページの原案を作り、足りない箇所を質問として返す仕組みだった。
木崎には、まだ言っていない。
隠すつもりではなかった。結果が出てから話すつもりだった。結果という言葉は、たいてい報告を遅らせるために使われる。
「小日向さん?」
帆足が呼んだ。
「これ、知ってます」
「文章を?」
「作った仕組みを」
事務所の反対側で、木崎が電話を切った。
小日向は逃げ道を考えた。似た識別子かもしれない。確認してから話すべきだ。自分が参加した試験と、この案件が同じだという証拠はない。
そのどれも正しかった。
ただし、誰かが先にファイル情報を見つければ、小日向の検証はその瞬間からすべて「隠していた参加者の説明」になる。後から正しいことを言っても、正しさを確かめる手間を増やす。それは彼女が一番嫌うやり方だった。
「私、提携候補の会社の試験に参加しました。個人で」
木崎はすぐには何も言わなかった。複合機が最後の一枚を吐き出し、事務所から機械音が一つ消えた。
田名部が取材メモから顔を上げた。鳥羽は開いていた写真を閉じ、画面ではなく小日向を見た。帆足の赤いペンは、机に置かれないままだった。
「いつから」
「数週間前です」
「会社のデータは使った?」
「使ってません。公開されている架空の募集要項だけです」
「報酬は」
「ありません」
木崎は三つの質問を終えると、怒らなかった。
「この素材が、その仕組みで作られた可能性は」
「高いです。でも断定はできません」
「できることは」
「元の入力と、途中の質問と、誰が承認したかを出してもらう」
「では、依頼して」
「私が?」
「知っている人が聞くのが一番早い」
小日向は、怒られなかったことに傷ついた。信頼されているから任されたのか、もう試される側になったのか、わからなかった。
小日向の端末に返信が届いた。
AI会社の試験窓口からだった。
回答には、駅前店の運営本部から開示許可を得た範囲、と但し書きがあった。
入力者:運営本部。参照資料:店舗月報、採用条件案。音声・取材記録の入力なし。出力状態:本人確認前の原案。公開前に編集担当者が対象者へ直接確認すること。
コメント案がAI会社の仕組みから出力されたことは、これで確定した。三人の発言を要約した文章ではない。本部が入力した店の状況と採用条件を、三人分の話し言葉へ組み直した原案だった。
続けて、木崎からメッセージが来た。
店側から音声素材が届いた。先に確認して。
共有フォルダには、音声という新しい階層が増えていた。
ファイルは三つ。
スタッフ一、スタッフ二、スタッフ三。
小日向は端末の音量を上げ、一つ目を再生した。
一秒だけ、空調に似た薄いノイズが鳴って止まった。
二つ目も、三つ目も。
三本とも一秒で、波形はほとんど平らだった。三度目の再生が止まると、周囲のキーボード音まで止んでいた。収録ミスなのか、空の仮ファイルなのか、その画面からは決められない。
田名部が背後で言った。
「取材の証明にはならないね」
「はい。取材がなかった証明にもなりません」
「店長に確認します」
小日向はその場で電話をかけ、音声が三本とも空であることを伝えた。
『音声は、空のままでいいと聞いていました』
店長の返事は早かった。
「誰からですか」
『いま本部へ確認しました。コメント案を先に作って、地域の編集会社が本人確認と追加取材をして仕上げる手順だったそうです』
「では、三人への取材はまだ行っていない?」
沈黙のあと、店長は「はい」と答えた。
「昨日は、済んでいるとおっしゃいました」
『完成した文章が届いたので、そこまで終わっているものだと思いました。編集室へ渡す資料が、まだ確認前だとは理解していませんでした』
意図的な嘘か、確認不足かは決められない。だが、少なくとも三人への取材が行われていないことは、店長自身が認めた。
小日向は三つのインタビュー文書を見た。
同じ長さの段落。同じ場所で入る読点。同じ温度の、三人の声。
三人の声は、三人が話す前に完成していた。
そして、木崎の机にはすでに、駅前店から全額が入金されている。
小日向はホワイトボードに、確定したことを三つ書いた。
現行条件と再開後条件が混在。
スタッフ取材は未実施。
コメント案は本部入力を基にAI生成。本人確認前。
小日向は依頼票を開き直した。記載されているのは「採用ページ制作」と「支給素材あり」。スタッフへの本人確認も、追加取材も、作業範囲には入っていなかった。
店の運営側は、編集室が確認すると思っていた。店長は、運営側とAI会社が確認済みだと思っていた。編集室は、支給素材は取材済みだと思っていた。
誰かが確認するはずだった。だから、誰も確認していなかった。
その下に、まだ答えのない問いを一つだけ書いた。
生成原案を見せずに聞いたとき、三人は何を話すか。
原稿を作るだけなら、もう終わっている。だが、その原稿を求人として出せる状態には、まだ一度もなっていなかった。
木崎はホワイトボードを読み、入金済みの金額が表示された画面を閉じた。
「修正では足りない。三人に、最初から話を聞く」
「先方には、何と返しますか」
「三人に直接取材する。現在の条件と再開後の条件を分ける。AIへ何を入れて、誰がこの文章を承認したのかも出してもらう。それまで掲載しない」
「出さないと言われたら」
木崎は、閉じたばかりの入金画面へ一度だけ目を戻した。
「全額返金と契約終了を申し出る。金曜の納期より、明日の正午を先に決める」
帆足が、三つの条件と回答期限を確認票へ移した。
田名部は白紙の原稿を開き、小日向は三人の取材日程を問い合わせた。
まちあい編集室は、完成していた原稿を捨てた。
そしてようやく、取材を始めることにした。
本作品は、AI作家による執筆、AI編集による編集、独立したAI法務部による事前監査を経て制作され、人間のオーナーが最終的な公開を承認しています。

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