連載小説『消える会社、残る原稿』 第2話
本作品はフィクションです。登場する人物、団体、店舗、サービス、出来事は架空であり、実在のものとは関係ありません。
翌朝、木崎遼子は誰も来ていない事務所で、銀行口座の残高と支払予定を一行ずつ見比べていた。窓際の空調はまだ温度が安定せず、止まったり動いたりを繰り返している。
今月末の家賃、外注費、各種利用料。来月までに入金が確定している案件。順に差し引くと、駅前店の代金がなければ、次の支払日までに誰かへ猶予を頼む必要があった。
残高を一か月の平均支出で割れば、会社があと何か月持つかは一つの数字になる。木崎は計算できないのではなく、その数字を社内の締切にしたくなくて、割り算をしなかった。
木崎は残高の数字を社員には伝えていない。伝えれば、相談になる。相談になれば、外注費、取材時間、写真点数、校正回数のどれを削るかという話になる。まちあい編集室が仕事として残してきたものほど、先に経費の名前をつけられる。
入口の鍵が回る音を聞き、木崎は銀行の画面を閉じた。最初に入ってきた帆足が照明を点け、白い光が会議机の上まで広がったところで朝礼を始めた。
「駅前店、受けました」
帆足芙美が手元の依頼票から顔を上げた。
「受けた、は正式な発注書を受けたという意味ですか」
「発注意思を確認した、という意味」
鳥羽圭が短く笑い、小日向は笑わなかった。田名部は昨日の取材メモを机に置いたまま、最後の一行を指で隠している。帆足は依頼票の端を机にそろえ、返答を待った。
木崎は見なかったことにした。
見なかったことにするのは、見えていないこととは違う。代表になってから、その違いだけはよくわかる。
駅前店から、見積額と同額の入金通知が来ていた。着手金ではなく全額。正式な請求書を出す前だった。
その金額があれば、今月予定していた外注費と事務所の支払いを、誰かに待ってもらわずに済む。木崎はその不足額を、社員の顔と結びつけたくなかった。
午前十一時、木崎は店長へ電話をかけた。
「急いでいただいたのは助かります。ただ、正式な請求前に全額というのは」
『本部の締めの都合です』
「納品前に予算を使い切りたい?」
電話の向こうで、一拍空いた。
『採用を止めたくないんです』
「店を止める予定があっても?」
また一拍。
今度は店長が、午後に来てほしいと言った。
木崎は田名部を連れていかなかった。彼はすでに初稿を止める判断をした。次に必要なのは追加取材ではなく、依頼を続けられる条件を代表同士で決めることだった。
午後の駅前店は、買物客の籠がレジ前を絶えず行き来し、表から見ればいつもの営業日だった。木崎は売場を横切り、従業員用の扉の奥へ通された。
昨日伏せられていた図面が、事務室の机を端まで使って広げてあった。店長は木崎が座る前にドアを閉めた。
現在の売場の上に、太い線が一本引かれている。線の左側には売場、右側には別用途とだけ書かれていた。バックヤードは今の半分ほどになっている。
「改装ですか」
「その予定です」
「予定」
「まだ、全員に説明できる段階ではありません」
店長は入口のドアを確認してから、声を落とした。
「建物側との話がまとまれば、一度休業して、売場を縮小して再開します。本部は、店を残すと言っています」
「あなたは?」
「私も残したいです」
「質問を変えます。いま働いている人の仕事は残りますか」
店長は図面を折り始めた。紙が乾いた音を立てる。元の折り目と新しい折り目が合わず、右半分だけが机から浮いた。
「全員が同じ時間数で、同じ担当を続けるのは難しい」
「その説明前に、新しい人を募集する」
「休業までの数か月、夕方を回す人が足りません。再開後も働いてもらうつもりです。ただ、同じ時間数と同じ担当を約束できる段階ではない」
「惣菜や夜の勤務を続けたい今の人より、再開後の短い営業時間で複数の仕事をできる人を先に探す、ということですか」
「今いる人にも希望は聞きます。ただ、再開後の時間と仕事に合わない人が出る。本部からは、外からも先に探すよう言われています」
「いまは担当が分かれています。小さくなれば、一人がレジも品出しも閉店作業もする時間が出る。それでも足りなければ、再開できません」
求人が必要な理由はわかった。現在の欠員を埋め、再開後の少人数運営にも残れる人を探している。だが、仕事内容も勤務時間も変わる可能性を伏せたまま、その二つを同じ仕事として募集することはできない。店は残っても、現在の仕事が残るとは限らなかった。
木崎は、そこで怒るべきなのだと思った。
帆足なら条件を止める。田名部なら誰の言葉で書くのかを聞く。鳥羽なら図面を撮らせてくれと言うかもしれない。小日向なら、情報が更新された時刻を確かめる。
木崎は図面の右半分を指した。
「ここは何になるんですか」
「まだ言えません」
「では、求人原稿に書けないことが多すぎます」
「書いてほしいことは決まっています」
店長は別の紙を差し出した。
スタッフの声、と見出しがついた短い文章が三つ並んでいた。
——常連さんに「また明日ね」と言われると、今日も役に立てたと思えます。
——新しくなる店を、一緒につくっていきたいです。
——変わらない安心を、これからも届けます。
どれも整っていた。整いすぎて、誰が何歳で、どの持場で、どんな顔をして言ったのかが見えなかった。
「この方たちへの取材は」
「済んでいます。素材もお送りします」
「誰が取材を?」
店長は答えず、図面を元の封筒へ戻した。
「店は閉めません」
「一度休業する」
「再開します」
「半分の広さで」
「残るんです」
店長の声には、嘘をついている人の響きがなかった。
だから木崎は困った。
会社を残すために、残ったと言える最小の形を探している。その点では、自分と同じだった。
帰り道、木崎は駅前店からの入金を返さなかった。
代わりに事務所へ電話をかけた。
「田名部さん。原稿、まだ書かないで」
『書いてません』
「早い返事ね」
『書けないので』
木崎は信号待ちで立ち止まった。鞄の中には、店長から受け取った三人分の「スタッフの声」がある。
そのとき、別の通知が画面に重なった。
提携を打診しているAI会社の法人担当からだった。
地域小売の導入事例について、御社に適した案件をご相談できます。
添付ファイルの仮題は、駅前店採用コンテンツ。
偶然の営業メールではなかった。表紙には、店長から渡された三つの「スタッフの声」と同じ見出しが並んでいる。少なくとも、店長から渡されたものと同じ材料が、まちあい編集室より先にAI会社へ渡っていた。
木崎は田名部へもう一度メッセージを送った。
初稿停止を継続。明日、依頼経路から確認する。
木崎は青信号を一度、渡り損ねた。
本作品は、AI作家による執筆、AI編集による編集、独立したAI法務部による事前監査を経て制作され、人間のオーナーが最終的な公開を承認しています。

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